現地清掃
2016.03.27
3週間ぶりに現地入りしてみたところ、今日は鶯がずいぶん上手になってさえずっている。

地面に降り積もっている竹の葉や朽ちた枝などをレーキーでかき集めてみるとずいぶん厚く積もっており、その下には栄養ドリンクのビンやら清涼飲料水のビン、缶、プラスチック容器が多数、女性物の靴が数足分も出てきた。
他にも、なぜだか管理業者の看板が2枚とブルーシートが2枚、保温型の弁当箱が一つ。
もちろん、当該地は管理がされていないから竹林になっていた訳で、ライバル管理業者の誰かが捨てたものと思われるが、これはとても不愉快なことだ。

さらに分からないのは、竹林(隣地)との境界近くにポリカーボネート波板の10尺物が2枚。
その部分には竹が生えていなかったことから竹が生える以前に放置されたものと思われ、20年以上前のものと思われる。

ポリカーボネートはどこでどう処分すれば良いのだろう?


竹葉をかき集めてみたの図(何と、一日かかって半分強しか片付かなかった)

改めて敷地全体を見渡してみると、敷地の1/4~1/3程が約30~40cm程落ち込んでいる。
多分、造成の際に元もとここに生えていた松も木でも埋めたのだろうと思う。

そうしたことは古い田舎の造成地には良くあることで、第1ベースの東に接して北に入り込んでいる私道が大きく凹んでいて排水が上手く出来ていない様だし、ブロック塀や門柱が大きく傾いた家もあるが、30年足らず前にそこに松の木を埋めている作業を私は見ていたのだ。
まあ、安い土地には安いなりの理由があると言うことだ。

幸い、20年以上経過して十分沈下した後で利用計画を立てる訳なので、あまり目くじらを立てるものでもない。
 
2016年公示地価
2016.03.23
今日の朝刊に2016年の公示地価情報が第2部として添付されていたので、興味を持って見た。

千葉県のページ後の方に横芝光町が4地点程記載されており、3地点は住宅で1地点は商業地だ。
最初に記載されている住宅地が第2ベースから徒歩15分(1.3km)ほどの場所で、駅までは徒歩22分(1.8km)で平米単価が1万円だそうだ。
第2ベースはそれより徒歩で10分(800m)程遠くなるが、平米単価は1/4の0.25万円。

他の住宅地2地点は、駅そばと駅から5km(徒歩1時間)程も離れた場所なので参考にはならない。
ちなみに駅から5kmほど離れた場所でも平米単価は0.7万円で、第2ベースより3倍弱も高いらしい。

それにしても公示地価と実勢地価との乖離が大きいんじゃないかと思うが、これは公示地価が課税の元とするために実勢地価より高く設定されているんだろうな~と、まあ、納得。


 
久久の現地入り
2016.03.05
先月13日以来、ちょうど3週間ぶりとなる、病み上がり後に初めて現地に入ることが出来た。

明日は雨が降るとの天気予報が出ているため、いつもより1時間ばかり早く現地入りをした。
現地に入ってみると、藪のそちこちから鶯のさえずりの練習が聞こえてくる。
まだまだ上手くさえずることが出来てはいないが、まるで競う様に7~8所から聞こえていた。

久久のためか暖かいためか、思った以上に体が良く動いてくれて、作業は順調に進められた。
近所の小学校から昼のチャイムが聞こえる頃には、おおよその目算が立つ程だった。

本日もまた、件の直売所へ弁当を買いに行くことにした。
これまでは3~4人ほどの客しか見たことがなかったのだが、本日は私を含めて10人以上がおり、そのすべてが私以上の年齢と見える、いわゆる高齢女性だ。
それを見て、この店の意義を理解した。

午後の作業中、初めて、周辺住民と思われる老年男性に声を掛けられた。
積み上げてあった竹を敷地内に引き出しているときに「何をするんですか?」と問われた。
「何をしてるんですか?」ではなく、「何をするんですか?」だったので、咄嗟に意味を測り兼ねて「あ~、土地ですか?」と聞くと、「いや、竹です」と言う。
「菜園を作ろうと思ってこの土地を購入したんですが、竹は邪魔物なので処分する途上です」と言うと、「この辺の土地は只みたいなもんだからね、竹で何かを作るのかと思ったもんで」と言って去って行ったのだが、何だか会話の不自然さは払拭できず、あれは不審尋問だったのだと理解することとした。
竹は竹炭が作れないかと考えてはいるが、それを説明するのは億劫だったし、まだ、それほど明確な計画と言えるほどのものでもないと思って省略した。

彼は南から来て北へ去っていった。
確証は無いが、郭の外から散歩に来る土地柄では無く、南側や北側奥の家には小学生くらいの子供がいると思われ、そう考えると年配的に北側手前の家の住民では無いかと思われる。
北側手前の住宅の女性の姿は遠目に何度か目撃していて、てっきり独居老人なのだろうと思っていたのだが、それは間違いだったかも知れない。
今後は、少し注意深く観察してみようと思う。

作業は予定より進んで、本日で粗方終了することが出来た。
残るのは細かい作業だけで、あとは半日もかからずに終了出来るめどが立ったので作業終了。

作業をするためには邪魔だと思ってマスクを着用しなかったのだが、その報いで今は猛烈な目の痛みとくしゃみに見舞われている。
さすが山武杉の本場でもあるだけあって、十二分の花粉症対策はせねばならないと覚悟を決める。
 
伐採竹の片付け
2016.02.13
今日、天気予報では4月並みに暖かくなり、処によっては夏日並みに暑くなると言っていた。

暑くはなるが県全域が曇りで日射は無いとの予報なので、作業には体が動いて良い日和だと思った。
しかし、家を出る前にはすでに雲が切れて日射があり、ずいぶんと気温が上昇している様だ。

現着して着替え、作業を始めて10分ほどで汗が吹き出して中のセーター1枚を脱いだ。
それでも、少し動くと作業ジャンパーの中にはひどく汗をかいているなと感じる。
やたらと喉が乾き、早く小学校の昼のチャイムが鳴らないかなと思いながら作業を進める。
しかし暑さでさっぱりペースが上がらず、竹林から出て日に当たるのが辛い。

チャイムが鳴って作業を中断して空を見上げると雲量は概ね2、なんと快晴じゃないか。
どこが曇りなんだと、一人突っ込んでみるが、まぁ、それだけのこと。
上着を脱ぐと、シャツが水を浴びたようにぐっしょりと濡れていて、強い風に吹かれて寒い。
すぐに車内に入って持参したお茶を飲むが、一杯では喉が癒えない。

件の直売所へ行こうとして気が付いた、「あ、財布忘れた!」。
「ナナコカード」があるので、国道沿いの7-11へ行くが、なぜか、ひどく混んでいる。
暑さによる疲労で、今日は30分以上の休憩時間を取ってしまった。

午後はひたすら我慢、伐採した竹の処理。
強い風が吹く度に竹林のあちこちでカラコロカラコロ音がしているが、突然バキっと音がすると上空から枯れて折れた竹がすぐ側に落ちて来てびっくり。
それからはカラコロ音がすると、ついつい上を見上げて安全を確認してしまう。
落ちてきた竹に串刺しにされて息絶え、一週間後に見つかるなんて、洒落にならない。
耐え切れず、午後2時頃にまた休憩して持参したお茶を飲むが、やはり喉が癒えない。

4時まで作業を続け、終了まではあと2日だなと目途を付けて本日の作業を終了。
喉の渇きに耐え兼ね、帰途7-11でビタミンウォーターを一気飲みして、人心地つく。

夜の関東ローカルニュースでは、横芝光町は22℃だったと報じている。
 
竹取の翁
2016.02.11
思い立ち、整形伐採をする前に西側隣地の竹林の中に入ってみた。

思った以上に中央部は竹は疎にしか生えてはおらず、折れて朽ちた竹が数多くあってそれを取り除くと大きな空間が取れそうに思い、まずそれをやってみることにした。
やり始めてみると、これが実に楽しい。
どんどん綺麗になると同時に、枝葉のある高さが5~6メートルほども上空にあるために、空間がどんどん広がって行き、ドームの中に居る様に感じるからだ。
2m四方くらいの竹が一本も生えていない場所が何箇所も出来るし、もっと大きな空間も取れそうだ。
多分、私の土地の竹の密度と竹林本体中央部の竹の密度は、ほぼ1/4程度では無いかと思われる。
場所によっては、竹を数本伐採するだけで10㎡程度の小屋なら中に楽に造れそうだと思うし、それをやってみたいという思いに駆られる。
いいな~、日照は得られないが四方を竹林に囲まれて、人知れず静かに暮らす小屋なんて、最高!
これなら竹林の七賢の故事も、むべなるかなと妙に納得ができてしまう。

そんな作業中に、ふと考えたことがある。
私の曽祖父「友蔵」が北海道へ渡ろうと思った理由はまったく分からない。
私が物心付いたときには祖父がすでに老人であり、父が4歳になる前に亡くなった曽祖父の姿は写真ですらも見たことがないし、父だって記憶に無かったろう。
分かっていることは、現在の香川県まんのう町で嘉永参年に生まれ、北海道の現在の洞爺湖町月浦(当時虻田村ポロモイ)を経て現在の洞爺湖町財田(当時虻田村ポロペツ、後に洞爺村財田)に入り、当地にて数え歳81歳で没していることと言った、除籍謄本で分かることだけ。

なぜこんなことを思ったのかと言うと、曽祖父の香川県での生活状況が全く分からないからだ。
曽祖父「友蔵」は長男であり、現在では祖先の眠る寺すら探すことが出来ない。
グーグルで見る限り、曽祖父友蔵の出身地である吉野上村の地形は、多くが山勝ちの様だ。
友蔵は百姓ではなく、鉄砲打ちとか炭焼きといった山で暮らす人ではなかったかと思い、竹林に入って血が騒ぐのは、もしかしたら先祖は竹取の翁ではないかと思ったと言う訳だ。

ま、ふと思っただけで、何の根拠も無い単なる夢想話ではある。
実際には、北海道で鉄砲打ちも炭焼きもやった形跡が無いことから、その技術は無かったものと考えるのが自然だとは思うが、まあ、夢想することは自由なのと、楽しく作業が出来たので由としよう。

近所の小学校からの昼を告げるチャイム(ベートベン交響曲第9番四楽章合唱付の合唱部分)で我に返り、軽く後始末をしたらすでに2時間半が経過している。
これで、本日の半日の作業時間が終わってしまった。

件の農産物直売所で弁当を買い、昼食。

後半は、前回倒した西側隣地部分の竹の処理にひたすら費やし、結果としてほぼ処理が終了した。

次回は、自分の敷地内で伐採した竹の処理に挑む予定だが量はほぼ3倍以上あり、移動距離も長いため、2日で終了できるかは微妙なところだが、何とか粗方を2日で終了したいと考えている。
 

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