伐採竹の片付け
2016.02.13
今日、天気予報では4月並みに暖かくなり、処によっては夏日並みに暑くなると言っていた。

暑くはなるが県全域が曇りで日射は無いとの予報なので、作業には体が動いて良い日和だと思った。
しかし、家を出る前にはすでに雲が切れて日射があり、ずいぶんと気温が上昇している様だ。

現着して着替え、作業を始めて10分ほどで汗が吹き出して中のセーター1枚を脱いだ。
それでも、少し動くと作業ジャンパーの中にはひどく汗をかいているなと感じる。
やたらと喉が乾き、早く小学校の昼のチャイムが鳴らないかなと思いながら作業を進める。
しかし暑さでさっぱりペースが上がらず、竹林から出て日に当たるのが辛い。

チャイムが鳴って作業を中断して空を見上げると雲量は概ね2、なんと快晴じゃないか。
どこが曇りなんだと、一人突っ込んでみるが、まぁ、それだけのこと。
上着を脱ぐと、シャツが水を浴びたようにぐっしょりと濡れていて、強い風に吹かれて寒い。
すぐに車内に入って持参したお茶を飲むが、一杯では喉が癒えない。

件の直売所へ行こうとして気が付いた、「あ、財布忘れた!」。
「ナナコカード」があるので、国道沿いの7-11へ行くが、なぜか、ひどく混んでいる。
暑さによる疲労で、今日は30分以上の休憩時間を取ってしまった。

午後はひたすら我慢、伐採した竹の処理。
強い風が吹く度に竹林のあちこちでカラコロカラコロ音がしているが、突然バキっと音がすると上空から枯れて折れた竹がすぐ側に落ちて来てびっくり。
それからはカラコロ音がすると、ついつい上を見上げて安全を確認してしまう。
落ちてきた竹に串刺しにされて息絶え、一週間後に見つかるなんて、洒落にならない。
耐え切れず、午後2時頃にまた休憩して持参したお茶を飲むが、やはり喉が癒えない。

4時まで作業を続け、終了まではあと2日だなと目途を付けて本日の作業を終了。
喉の渇きに耐え兼ね、帰途7-11でビタミンウォーターを一気飲みして、人心地つく。

夜の関東ローカルニュースでは、横芝光町は22℃だったと報じている。
 
TVアンテナが・・・
2016.02.11
作業中に気がついたが、TVアンテナの向きが2種類に分かれているのだ。

この、木竹に囲まれて静かな曲輪は全55区画ほどの分譲地であり、現在は5棟の住宅が建っている。
一番北側の東西に通る道路に面して北側に2棟並び、その西側の家の道路を挟んだ向かい側に1棟、中央の南北に通る道路の東側に1棟、一番西側の南北に通るわが土地と同じ道路の西側(我が敷地から見て真南)に建つ1棟であるが、そのテレビアンテナについてのこと。

最も北側に2棟並んだ家は、2棟ともアンテナはやや北に振れた東を向いており、我が地から見て東北東方面の家と真南の家はやや西に振れた北を向いている。
で、北側手前の家は1本のマストにアンテナが2基付いていて、1基がやや南に振れた西を、もう1基がやや西に振れた北を向いているのだ。

やや西に振れた北を向いたアンテナは、どれもエレメントが垂直になる様に設置されている。

この様なアンテナの設置方法は始めて見たが、どうやら、ここは銚子中継局と横芝光中継局の2つの電波が受信できる場所であり、電波が干渉し合わない様に水平偏波(銚子)と垂直偏波(横芝光)とで棲み分けている模様だ。

唯一つ、やや南に振れた西を向いたアンテナはスカイツリーを狙っているのかもしれないが、その成果はどうなんだろうと思い、少し興味がある。

ちなみに、私は高校2年でアマチュア無線を始めて多少なりとも電波に知識を持っている。
開局時のコールサインは「JA8MJC」、関東に来て「JD1ADE」だった。

なんだかちょっと、懐かしい思いに胸が・・・ 
 
竹取の翁
2016.02.11
思い立ち、整形伐採をする前に西側隣地の竹林の中に入ってみた。

思った以上に中央部は竹は疎にしか生えてはおらず、折れて朽ちた竹が数多くあってそれを取り除くと大きな空間が取れそうに思い、まずそれをやってみることにした。
やり始めてみると、これが実に楽しい。
どんどん綺麗になると同時に、枝葉のある高さが5~6メートルほども上空にあるために、空間がどんどん広がって行き、ドームの中に居る様に感じるからだ。
2m四方くらいの竹が一本も生えていない場所が何箇所も出来るし、もっと大きな空間も取れそうだ。
多分、私の土地の竹の密度と竹林本体中央部の竹の密度は、ほぼ1/4程度では無いかと思われる。
場所によっては、竹を数本伐採するだけで10㎡程度の小屋なら中に楽に造れそうだと思うし、それをやってみたいという思いに駆られる。
いいな~、日照は得られないが四方を竹林に囲まれて、人知れず静かに暮らす小屋なんて、最高!
これなら竹林の七賢の故事も、むべなるかなと妙に納得ができてしまう。

そんな作業中に、ふと考えたことがある。
私の曽祖父「友蔵」が北海道へ渡ろうと思った理由はまったく分からない。
私が物心付いたときには祖父がすでに老人であり、父が4歳になる前に亡くなった曽祖父の姿は写真ですらも見たことがないし、父だって記憶に無かったろう。
分かっていることは、現在の香川県まんのう町で嘉永参年に生まれ、北海道の現在の洞爺湖町月浦(当時虻田村ポロモイ)を経て現在の洞爺湖町財田(当時虻田村ポロペツ、後に洞爺村財田)に入り、当地にて数え歳81歳で没していることと言った、除籍謄本で分かることだけ。

なぜこんなことを思ったのかと言うと、曽祖父の香川県での生活状況が全く分からないからだ。
曽祖父「友蔵」は長男であり、現在では祖先の眠る寺すら探すことが出来ない。
グーグルで見る限り、曽祖父友蔵の出身地である吉野上村の地形は、多くが山勝ちの様だ。
友蔵は百姓ではなく、鉄砲打ちとか炭焼きといった山で暮らす人ではなかったかと思い、竹林に入って血が騒ぐのは、もしかしたら先祖は竹取の翁ではないかと思ったと言う訳だ。

ま、ふと思っただけで、何の根拠も無い単なる夢想話ではある。
実際には、北海道で鉄砲打ちも炭焼きもやった形跡が無いことから、その技術は無かったものと考えるのが自然だとは思うが、まあ、夢想することは自由なのと、楽しく作業が出来たので由としよう。

近所の小学校からの昼を告げるチャイム(ベートベン交響曲第9番四楽章合唱付の合唱部分)で我に返り、軽く後始末をしたらすでに2時間半が経過している。
これで、本日の半日の作業時間が終わってしまった。

件の農産物直売所で弁当を買い、昼食。

後半は、前回倒した西側隣地部分の竹の処理にひたすら費やし、結果としてほぼ処理が終了した。

次回は、自分の敷地内で伐採した竹の処理に挑む予定だが量はほぼ3倍以上あり、移動距離も長いため、2日で終了できるかは微妙なところだが、何とか粗方を2日で終了したいと考えている。
 
ドラセナの花
2016.02.10
今年もドラセナの花が咲いた。

ドラセナの花が咲くことは珍しいことだそうらしいが、我が家では少しも珍しいことではない。
30年以上も我が家にあるドラセナは、もう20年以上も前から花を咲かせていて、最初は数えていたが、10回を過ぎたあたりからは当たり前になってしまって、数えるのを止めた。
すでに2度ほど天井につかえてしまい、ばっさり切られて棒状にされ、そこからまた葉を伸ばしている。
そのため、根元はそれなりに貫禄がある。

2月に咲いたり8月に咲いたりと季節に決まりは無いし、どういう理由で咲くのかも分からないが、いつもやたらと甘い香りとべたべたの蜜で床を汚す。
また、花ひとつの咲いている期間は短くすぐに散ってしまうが、つぼみから一斉に開かないために全体としてはそこそこ咲いている期間(10日間ほど)がある。


      つぼみ           つぼみ             根元             
伐採伐採また伐採
2016.02.07
雨は無く、予定通り昨日の続きの作業を行う。

時折強い北風が吹いて持ち上げた竹が煽られ、思う位置に置けなかったりするが、日が照っていて作業をするには少し暑く感じられ、ジャンバーの前チャックを開けて作業をする。

先ずは帯状に残っている篠竹を伐採しようと作業を開始したが、思ったよりもはるかに手間が掛かる。
密集して生えているため、伐るのが大変だし腰への負担が大きい。
幅2m奥行き8mほどなので、甘く見て1時間と踏んでいたが、とんでもない間違いだった。
草刈機があれば簡単なんだろうけど、手作業では2時間でも終わらなかった。

昨日と同じ直売所で、弁当380円を買って昼食。

15分ほど休憩し、昨日伐採して隣地に倒れこんだままの竹を敷地内に収容。
これも30分くらいかなと思っていたが、数が多いのと重いので1時間ほど掛かってしまった。

残り1時間半は、西側隣地の竹を奥行き4m程の幅でひたすら伐採、伐採、伐採。
これはすべてを自分の敷地に向けて倒すだけなので、思いの外早く進んで1時間半ほどでほぼ終了。
次回は、形を整えつつ伐採して30分ほどで終了できるものと思われる。
ただし敷地内に倒した竹は6~70本以上はあり、これの枝払い等の処理に一日が費やされる予定。

 
ひたすら伐採した西側 南の家の西側セットバック

西側隣地の伐採については、1区画置いた南側の家の西側のセットバックをイメージしている。

天気が崩れなければ、11日、13日、14日の3日間で伐採作業は終了できそうだが、伐根はホムセンで売っている備中鍬では何本折っても無理だろうな・・・

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