竹取の翁
2016.02.11
思い立ち、整形伐採をする前に西側隣地の竹林の中に入ってみた。

思った以上に中央部は竹は疎にしか生えてはおらず、折れて朽ちた竹が数多くあってそれを取り除くと大きな空間が取れそうに思い、まずそれをやってみることにした。
やり始めてみると、これが実に楽しい。
どんどん綺麗になると同時に、枝葉のある高さが5~6メートルほども上空にあるために、空間がどんどん広がって行き、ドームの中に居る様に感じるからだ。
2m四方くらいの竹が一本も生えていない場所が何箇所も出来るし、もっと大きな空間も取れそうだ。
多分、私の土地の竹の密度と竹林本体中央部の竹の密度は、ほぼ1/4程度では無いかと思われる。
場所によっては、竹を数本伐採するだけで10㎡程度の小屋なら中に楽に造れそうだと思うし、それをやってみたいという思いに駆られる。
いいな~、日照は得られないが四方を竹林に囲まれて、人知れず静かに暮らす小屋なんて、最高!
これなら竹林の七賢の故事も、むべなるかなと妙に納得ができてしまう。

そんな作業中に、ふと考えたことがある。
私の曽祖父「友蔵」が北海道へ渡ろうと思った理由はまったく分からない。
私が物心付いたときには祖父がすでに老人であり、父が4歳になる前に亡くなった曽祖父の姿は写真ですらも見たことがないし、父だって記憶に無かったろう。
分かっていることは、現在の香川県まんのう町で嘉永参年に生まれ、北海道の現在の洞爺湖町月浦(当時虻田村ポロモイ)を経て現在の洞爺湖町財田(当時虻田村ポロペツ、後に洞爺村財田)に入り、当地にて数え歳81歳で没していることと言った、除籍謄本で分かることだけ。

なぜこんなことを思ったのかと言うと、曽祖父の香川県での生活状況が全く分からないからだ。
曽祖父「友蔵」は長男であり、現在では祖先の眠る寺すら探すことが出来ない。
グーグルで見る限り、曽祖父友蔵の出身地である吉野上村の地形は、多くが山勝ちの様だ。
友蔵は百姓ではなく、鉄砲打ちとか炭焼きといった山で暮らす人ではなかったかと思い、竹林に入って血が騒ぐのは、もしかしたら先祖は竹取の翁ではないかと思ったと言う訳だ。

ま、ふと思っただけで、何の根拠も無い単なる夢想話ではある。
実際には、北海道で鉄砲打ちも炭焼きもやった形跡が無いことから、その技術は無かったものと考えるのが自然だとは思うが、まあ、夢想することは自由なのと、楽しく作業が出来たので由としよう。

近所の小学校からの昼を告げるチャイム(ベートベン交響曲第9番四楽章合唱付の合唱部分)で我に返り、軽く後始末をしたらすでに2時間半が経過している。
これで、本日の半日の作業時間が終わってしまった。

件の農産物直売所で弁当を買い、昼食。

後半は、前回倒した西側隣地部分の竹の処理にひたすら費やし、結果としてほぼ処理が終了した。

次回は、自分の敷地内で伐採した竹の処理に挑む予定だが量はほぼ3倍以上あり、移動距離も長いため、2日で終了できるかは微妙なところだが、何とか粗方を2日で終了したいと考えている。
 
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