千葉第1ベース
2015.12.29
多分、有ったはずだと思い、古いパソコンのHDDを探したら第1ベースの写真が何枚か出てきた。
ちなみに、私が始めてデジカメを購入したのは1998年のことだったが、画像サイズからこれは2代目のカメラの画像と思われる。

昭和60年に始めて造った小屋(約7.5坪)を解体した跡のブロック基礎を利用し、約6坪に減築をして建て直した小屋で、私にとっては3つ目のセルフビルドの小屋だ。
ちなみに、減築した1.5坪分はCB製の基礎が残っているために後日の増築が可能である。
30年前にはホムセンでも材木屋出でも扱っていなかったディメンジョンランバー(2バイ系構造材)も、この時点では売られるようになっていたため、それを使用して建築した。
幸い、当地はこの建築時点でも都市計画区域外であり、6坪の建築に確認申請は不要だった。

一人で造っている事と、当時はウェブサイトを創ることを想定していなかったので十分な画像は無い。
しかし、記録用に撮ったものが何枚かあったので、それをアップしてみる。
ちなみに小規模な2号棟(1.25坪)、4号棟(2坪)については築造時の画像は一枚も撮っていないし、改めて掲載するほどのものでもない。

     
 根太(防腐塗装済)    床合板貼        枠組        歪取り


  枠建込チェック     枠建込後      屋根垂木設置     野地板設置

枠建込チェックでは妻側を固定し、両サイドの枠は仮に建てて全体のバランスと歪みを確認している。
この後、再び倒して歪みを取ってOSB合板を貼ってから最終的に建て込んでいる。
ちなみに、スタッド(縦枠)は8フィートを使用しており、幅12フィート高さ8フィートで9mmのOSB合板を張った壁枠が、私が一人で起こすことの出来る最大寸法であることを、このときに知った。
このサイズ以上の壁枠は何をどうやっても、道具を使わない限り一人で起こすことは無理であり、この時から10数年を経た今ではそれさえも無理だろうと思う。
新たな計画である第2ベースでは、スタッドの長さを6フィート7インチで計画したいと思っている。

ちなみに、屋根勾配の2寸は規格材を無駄なく使い切るために導き出した値で、一応はAトラスである。
計画屋根勾配はスパン7フィート6インチなら矩、9フィートなら5寸、10フィート6インチなら3寸となる。

屋根など、この後の画像も何枚か撮った様に記憶しているが、今回は見つからなかった。
  
確認準備 方針決定
2015.12.28
総務省統計局のウェブサイトに住宅の定義があったので、以下に転載(コピペ)してみる。

住宅
 一戸建の住宅やアパートのように完全に区画された建物の一部で,一つの世帯が独立して家庭生活を営むことができるように建築又は改造されたものをいう。
 ここで,「完全に区画された」とは,コンクリート壁や板壁などの固定的な仕切りで,同じ建物の他の部分と完全に遮断されている状態をいう。
また,「一つの世帯が独立して家庭生活を営むことができる」とは,次の四つの設備要件を満たしていることをいう。
(1)一つ以上の居住室
(2)専用の炊事用流し(台所)
  共用であっても,他の世帯の居住部分を通らずに,いつでも使用できる状態のものを含む。
(3)専用のトイレ
(4)専用の出入口
  屋外に面している出入口又は居住者やその世帯への訪問者がいつでも通れる共用の廊下などに
  面している出入口
したがって,上記の要件を満たしていれば,ふだん人が居住していなくても,ここでいう「住宅」となる。

だそうだ。

住宅なのだから居住室は当然だし、出入り口に至っては物置にだって無きゃ使用出来ない物。
どうやら、住宅には炊事用の流しとトイレは必須要件で、やはり風呂はお構いなしの様だ。
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と言う訳で、以下の様に建築計画の方針を決定した。

トイレおよび流しが要件であると判断し、トイレと流しを設置しない計画のために住宅での確認申請は不可と判断して、極小サイズの物置で確認申請を行う。
後日、法に適った10平方メートル未満の小屋の増築を行い、それを以って住宅とする。

以上
 
初めての小屋_回想2
2015.12.21
探し回って最初の小屋の写真を見つけ出したので、後日、スキャンしてアップしたい。

横方向の広がりを感じさせた小屋にしたいと思って高さを抑え、天井高さは2.1mとしている。
それは、サッシの高さ寸法H1800とH300を足した結果の寸法である。
屋根勾配は1寸ほどしか取っていないため、カラー鉄板の瓦棒葺きとして近所の板金屋に依頼した。

ちなみに使用材は、材木屋で筋違いの材として売られている90X45および90X30の材だ。
杉3寸角を二つに裂いて貰おうとも思ったが、手間がかかって割高となるので諦め、筋違材を採用。
構造は、プラットホーム工法が開発される以前にアメリカで主流だったバルンフレーム工法とした。
時間がかかったときに床下断熱材(グラスウール)が濡れて劣化することを懸念したためだった。

見た目優先で外壁材の選択を間違え、この小屋はシロアリの食害を受けて10年ほどで解体の憂き目に遭った。
以降は、この轍を踏まない造りを意識して計画いることは、言うまでもない。
ちなみに北海道生まれの私にとって、シロアリの存在というのはゴキブリと同様に全くの埒外であった。

その後、15年ほど前に改めて建て直した小屋6坪は、現在の第1ベースとして現存している。
幸いなことに、新たに建て直した際にはホムセンでツーバイ系構造材の入手が可能となっていたため、オーソドックスなプラットホーム&ウッドフレームコンストラクション(枠組壁工法)とした。

なお、千葉第2ベースの小屋2.25坪は、私にとっては大小合わせて5棟目の小屋築造りとなる。
建築順には、①7.5坪 ②1.25坪 ③6坪 ④2坪 そして⑤2.25坪(予定)だ。
面積としては7.5坪~1.25坪の真ん中ではあるが、全体としては小さい方の小屋になる。


ちなみにこの小屋への固定資産税を確認してみたところ、建築は昭和60年となっている。
するとジャスト30年ということになるらしいが、実際に建てたのはその前年だと記憶しているので、家屋調査が昭和60年だったのだと思われる。
面積は23.18㎡と記載されており、実際の面積より若干小さい様だ。
27年を経過した固定資産税額は776円、固定課税標準額は55,429円となっており、固定資産税評価額55,429円となっいる。

いずれにしろ、固定資産税は職人(大工)が造ろうが素人のセルフビルドであろうが、容赦はない。
ただ、凝った造りか稚拙な造りかで、多少の増減の幅が認められているに過ぎないのだ。


第1ベースを建て直した際の床組み写真が出てきたので、ページを改めて記載したいと思う。
当初、床組みは206の予定だったが、近所のホムセンでは必要な数が揃わず、急遽204に置き換えて計画し直して床束を使用する方式とした。
一応、加圧注入材を使用しているが、ホムセンの204の加圧注入材は表面から2~3mm程度しか含浸していない様なので、防腐塗料を2度塗布している。
 
初めての小屋_回想
2015.12.21
初めて小屋を造ったのは、今から30年以上も前のこと。約7.5坪の小屋だった。

中学校の技術家庭で習った程度の知識と技術、道具で小屋を造ろうと思ったのだから、無謀と言えば無謀ではあるが、得意の「高括り作戦」で挑戦してみることにしたのだ。

きっかけは、知人が自宅をリフォームする際に不要となるサッシを貰う人はいないかと言うことだった。
そこですぐにそのサッシの入る小屋を計画してみた。
小屋として必要な面積を考えるのではなく、サッシをどの様に使用するかという発想での計画だった。
そのサッシは、洋室で使用していた巾9尺高さ6尺の2枚扉(色シルバー)が1本、
和室で使用していた巾9尺高さ6尺の4枚扉(色アンバー)が1本、
洋室で使用していた巾6尺高さ6尺の2枚扉(色シルバー)が1本、
さらに洋室の巾9尺窓の上で使用していた巾4尺5寸の欄間用サッシが2本、
勝手口用框ドアが1本だった。

結果的に小屋のサイズは、基本部分が間口約3間×奥行約2間に水回りを追加した約7.5坪の大きさとなり、初めて造るにしてはなかなかの大作であった。

しかし、例によって「何とかなるだろう」と思い、早速、前の道の角を曲がり、角から3軒隣の左官屋へ行ってブロックを積んで基礎を造ってもらいたいと依頼した。
当然と言うか、左官屋には「無理だからやめた方が良い」と言われたが、「趣味だから、何年かかっても造るつもりだ」と言い、急がないのでと言って仕事の合間を利用して安く造ってもらった。

基礎が出来上がるまでの間に構造・工法を考えたが、道具や技術を勘案して軸組工法は無理と判断。
当時、枠組壁工法(通称ツーバイフォー工法)の知識を持ってはいたが、材料を入手することが出来なかった。
ディメンジョンランバー(ツーバイフォーなどの構造材)はホムセンに売ってはおらず、近所の材木屋に行ってみたら、「何だそれは、そんなものは置いていない」と一蹴される始末。
今の様に通販で入手することなども出来ず、全く手も足も出ない有様だった。

そこで考え出したのが、近所の材木屋でも入手が可能な断面寸法の近い材で造る「何ちゃって枠組壁工法」だった。

それにしても、本当に文章が下手だな・・・
 
鯖 大掃除!
2015.12.17
本日午前中に、10年間使用した鯖と決別いたしました。

一切合財、すべてのデータを一つ残らず削除した。

削除する際、「おや?っ」と思うホルダーが結構あり、「あの頃はこんなこともやっていたんだな~」などと思いつつ、データを削除するだけで3日もかかってしまった。
削除したデータは2GBに近く、驚いたのは削除されずに垢の様に溜まっていた大量の迷惑メールだった。
このサバは、メールやアクセスデータのログも同じフォルダ内に置かれているのだ。

新たな格安鯖は、停止するときは個々のサバが停止する様であり、すべてのサイトが一斉に停止をするということは無さそうなのでそれだけでも助かります。
また、停止の際の情報も詳しく提供してくれそうなので、この一か月に及ぶ鯖移転の苦労も報われることでしょう。
もう当分、引っ越し作業はしたくありません。また、現在40以下まで減らしたサイトの数も更に減らして20~25程度としたいと思う。

やれやれ、一安心ですが、すべてのデータの引っ越しが上手くいったのかどうか・・・
大量のCGIのパーミッションの設定や動作が上手く行っているのかのテストはこれからだ。
とほほ。
 

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